コラム6
基礎有機化学56

<絶対不斉合成の顛末>
 酵素などのキラル触媒や他のキラル要素を使用しない反応では、アキラルな出発物質からキラルな生成物を得ることはできない。絶対不斉合成すなわち不斉手段を用いないでアキラルからキラルを生み出す試みはいくつか知られており、円偏光などの特殊な物理手段では、ほんのわずかキラリティが発生するという実験例が報告されている。しかし、実用的なほどのキラルな生成物にはほど遠い。ところが、1994年に驚くべき報告がドイツの化学雑誌に発表され、たちまち世界中の話題になった。

 このアキラルなアルデヒドにメチル基を導入してアルコールを合成するごく当たり前の反応を1.2テスラの磁場中で行ったところ、生成物はなんと(R)-体98%+(S)-体2%の混合物、すなわち光学純度96%のキラリティをもっていたというのである。磁場の中でなんらかのキラルな選択が行われ生成物に大きな不斉の偏りが生じたと考えられる。これが本当なら歴史的な大発見であり、世界中が色めきたったのだが....。
 他の科学者が同じ実験をやってみたが、誰一人として成功せず、生成物は完全なラセミ体であった。結局のところ、最初の実験データは担当した大学院生が捏造したことを白状し、実際にはこんな高効率絶対不斉合成は起こらないという結論で、今世紀最大級の発見は幻と化したのであった。


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