おもしろ化合物 第43話:「三角おむすびをつくる」




 ベンゼン環の構造式を描くときに、六角形に二重結合を交互に入れるケクレ方式ではなく、中心に〇を描くやり方があります。ベンゼン環の二重結合は固定しているのではなくπ電子は全体に非局在化しているので、〇を描く方が実態に合っているともいえます。ただし、この方法には落とし穴があるのでベンゼン環が連なった多核芳香族分子を描くときには注意が必要です。
 ベンゼンやナフタレンは問題ないとして、ベンゼン環を3個もつ分子を考えてみます。おなじみのアントラセンとフェナントレンの他に、ベンゼン環を三角形に積み上げた構造の分子が考えられます。中心に〇を描くやり方だと問題なく構造が描けてしまいますが、実際に二重結合を交互に入れてみるとあれれとなります(下段)。どうやっても炭素が1個あまっていわゆるラジカルになってしまうのです。それもそのはずこの形の分子は炭素数が13個と奇数です。実際にこの分子はフェナレニルという非常に不安定なラジカル種であることが知られています。それが中心に〇を描く方式だと安定な芳香族分子のように見えてしまうのです。



 それでは次に、もう一回り大きな三角形分子を考えてみます。同じように中心に〇を描くやり方ではきれいな構造が描けますが、二重結合を交互に入れてみるとやはりどうやっても結合できない炭素がこんどは2個できてしまいます。炭素数が22個と偶数なのにすべてをうまくつなぐことはできず、孤立したラジカルが2カ所にできてしまいます。実際にこの分子はトリアングレン(triangulene)というビラジカル(2個の不対電子をもつ化学種)であることが知られています。化学的に活性なラジカル種なので、やはり非常に不安定な分子です。
 このように中心に〇を描く方式は注意が必要ですが、それを簡単に見分けるには炭素に交互にABABと記号を振るのがおすすめです。二重結合をきちんと入れられる構造ではAとBが同数になりますが、そうでないニセ物の芳香族分子ではそうなりません。図のようにフェナレニルではA6個、B7個、トリアングレンではA10個、B12個となります。なお、トリアングレンという名前は広義にはこのようなベンゼン様六員環を三角形に積み上げた一連の分子を指します。その場合、一辺の六員環数をnとして[n]トリアングレンとします。ですからここでのトリアングレンは[3]トリアングレンとなります。



 このトリアングレンは分子モデルを組んでみるときれいな3回対称分子で、後で述べるようにラジカルが分子全体に非局在化した構造をしています。空間充填モデルでみるとまるで三角形のおむすびのようですね。この三角おむすび分子、化学的に活性でとても不安定なのでそのままつくって取り出すことはできません。これまでにそのものについて極低温で、また誘導体が低温溶液中で観測されているだけで、安定な状態での合成は達成されていませんでした。
 このほど、トリアングレン骨格にかさ高い3個の三級ブチル(tBu)基と3個のメシチニル(2,4,6-トリメチルフェニル, Mes)基を導入して安定化した化合物 1 が合成されました。これは室温で結晶化可能なトリアングレン誘導体としては初めての合成例です。1)



 合成は以下のスキームのように行われました。すでに知られている誘導体 2 のヒドロキシ基をメチル化して 3 とした後、メシチルリチウムで2個のカルボニルにメシチル基を導入します。このとき常法では目的物が得られず、塩化ランタンを添加することにより 4 が得られました。次いで、酸処理によって脱メチルと脱水、さらにヒドロキシ基の転位を行って 5 とします。これに3個目のメシチル基を導入して 6 とした後、塩化スズ(II)で還元処理すると目的の 1 が生成し、アルミナカラムで精製後赤色結晶として単離されました。



 安定な結晶が得られたことで、初めてX線結晶解析によって分子構造が明らかになりました。予想通り 1 の3個のかさ高いメシチル基はトリアングレン骨格平面とほぼ直交しており、置換基による母核への電子的影響は無視できることが確認できました。ESR(電子スピン共鳴)などの分析結果や分子軌道計算結果から、トリアングレンの共鳴構造は図の青色で示したビフェニル型に結合した2個の独立したケクレ構造のベンゼン環と、赤色で示したその両側のジグザグ型ペンタジエニルラジカル鎖からなっています。分子は3回対称軸をもつので図の左側の3種の等価な構造からなり、それぞれは図右側の9種の極限構造の共鳴で表されると考えられます。すなわちすべての六員環は等しくベンゼン型共鳴構造をとり、ラジカルは周縁に等価に非局在化していることになります。きれいな三角おむすび構造であることが明らかになりました。



 というわけで、三角おむすび型の炭化水素ラジカルトリアングレンの合成のお話でした。実際の合成分子は周囲にトゲトゲがいっぱいついて、「おむすび」というには無理がありますが(笑)。


1) S. Arikawa, A. Shimizu, D. Shiomi, K. Sato, and R. Shintani, J. Am. Chem. Soc. 2021, doi.org/10.1021/jacs.1c10151.


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