おもしろ化合物 第40話:「これが新型コロナンだ」




 この時期に書くエントリとしてはもうこれしかありませんね。
 コロナン(coronane)という名の炭化水素は、おもしろ化合物シリーズのずっと最初の方の第3話「あ〜ら不思議、分子の早変わり」にすでに登場しているのですが、最近話題のということでここは新型コロナンとでもいうべき分子のお話です。

 まずはコロナンについておさらいしておきましょう。[m.n]コロナンとは正m角形の各辺にm個の正n角形がすべて縮環した構造の炭化水素のことです。シクロヘキサンのすべての結合にシクロペンタンが縮合した分子は[6.5]コロナン、シクロドデカンにシクロプロパンなら[12.3]コロナンということになります。ちょうど皆既日食での太陽コロナのような外観なのでこの名があります。右のやつなどはまさに新型コロナウイルスに見えなくもないですね。
 このコロナン、構造的には十分おもしろいのですが、それだけではあまり研究者の興味を引かなかったものか、ほとんど研究例がありません。化学的に合成されたものも、調べた限りでは[6.5]コロナン(1)が唯一の例で、それも32年も前の話です。このシリーズ第3話で取り上げた、ロータンからコロナンへの連続的な転位反応は同じ著者らによるその合成途中の反応です。
 それでは、Fitjerらによる[6.5]コロナン(1)のエレガントな合成法をご紹介しましょう。

 出発物質はシクロブタンカルボン酸クロリド(2)で、これをアミドに変換した後、脱離反応によってケテン(3)を生成すると、ただちに二量化してジケトン(4)となります。これを塩基触媒反応に供すると、より安定な同族体である三量体トリケトン(5)が得られます。ここまでは既知反応1)です。

 この5を原料として、ます3個あるケトンのうち2個をWittig反応によってシクロプロピリデン化し、6とします。続いて生成したアルケンをメタクロロ過安息香酸でエポキシ化してシスジエポキシド(7)とします。次いでルイス酸触媒によって環拡大反応を起こすとビスシクロブタノン体(8)になります。ここ2段階の収率がよくないのは主生成物がトランス体だからで、数字はシス体のみの収率です。これをWolff-Kishner還元することにより、四員環ケトンのみが選択的に除去された9が得られます。

 このペンタスピロケトン(9)にGrignard反応によってアリル基を導入し、アルコール(10)とします。その次がきわめてエレガントな転位反応で、塩化チオニル/ピリジンという脱水条件に供すると、アルコール水酸基が脱離して生成したカルボカチオンに隣接シクロブタン環の炭素が順に転位していって一挙にコロナン骨格のジエン(11)となります。この反応はおもしろ化合物第3話に出てきたのと同じものです。
 あとは、最後のシクロペンタン環を構築すればできあがりですが、ここがなかなか難関です。最終的には、一旦、ヒドロジルコニウム化を経て一級ブロミド(12)に変換した後、ラジカル還元条件で閉環反応を起こさせて目的の1の合成を達成しています。ただし、反応選択性の点からは六員環に閉環した1bが主生成物でした。2,3)

 いずれにせよ、これが初めてのコロナン合成です。生成した1は融点222-224 ℃の昇華性結晶で、13C-NMR(CDCl3)では、δ 21.2 (CH2), 40.3 (CH2), 57.3 (C) ppmの3本のピークのみが観測されました。X線結晶解析によって6個のシクロペンタン環が交互に配置したall-trans構造が確認されています。

 

 さて、どこが新型コロナンなんじゃいとお思いでしょうが、ここまでは前置きです(長いっ)。
 最初に述べたように、私の調べた限りこれまでに化学合成されたコロナンはこの[6.5]コロナンが唯一の例なのですが、この外周の五員環を六員環にした[6.6]コロナンの構造をちょっと考えてみてください。平面には書きずらいのですが、この[6.6]コロナン、立体的に描いてみると、中央のシクロヘキサン環の周りに6個のシクロヘキサンが整然と配置した構造が描けます。よくみるとすべてのシクロヘキサン環はいす形配座をとっていてとても安定そうな構造にみえます。実際にダイヤモンド構造にはめてみるときれいにはまることがおわかりと思います。こんな安定そうで美しい分子がこれまで合成されていないなんて不思議なくらいです。これはまさに新型コロナンと呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。

 では、この[6.6]コロナンを合成するにはどうすればよいでしょう。上に紹介した[6.5]コロナンの合成法をそのまま使うとすれば、シクロペンタンカルボン酸から出発して、ペンタスピロシクロヘキサノンとし、ホモアリル基を導入したアルコールから転位反応でコロナン骨格を構築し、最後に閉環すればできあがりです。紙上の合成はなんと簡単なのでしょう(笑)。
 当然、Fitjerらを始めこれを考えた人はいるでしょうが、まだ実際の報告がないということは、同じストラテジーではうまくいかないのでしょう。周囲の環が大きくなるだけで立体障害が強く効いてきそうですし、実際分子モデルをよく見ると中央のシクロヘキサン環のすべてのアキシアル結合は1,3,5位に相対する環同士の反発によって外側へかなりゆがんでいるのがわかります。もちろん、それ以外にもちょっとした構造の違いで似た反応が進まない例は枚挙にいとまがありません。というわけで、新型コロナンは合成化学上はまだ見ぬ幻の化合物ということになっているのです。


幻の新型コロナン


1) J. L. E. Erickson, F. E. Collins, Jr., and B. L. Owens, J. Org. Chem., 1966, 31, 480-484 (doi.org/10.1021/jo01340a030).
2) M. Giersig, D. Wehle, L. Fitjer, N. Schormann, and W. Clegg, Chem. Ber., 1988, 121, 525-531 (doi.org/10.1002/cber.19881210321).
3) D. Wehle, N. Schormann, and L. Fitjer, Chem. Ber., 1988, 121, 2171-2177 (doi.org/10.1002/cber.19881211216).


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