おもしろ化合物 第41話:「花束はあげられない」




 アルジャーノンはダニエル・キイスの名作「アルジャーノンに花束を」に出てくるハツカネズミの名前です。小説の中で、アルジャーノンは特殊な脳外科手術によって知能が目覚ましく発達しますが、時が経つにつれその効果が徐々に減退し、最後には重度の障害状態になって死んでしまいます。

 そのアルジャーノンの名前をもった化合物ALGERNONがあります。これは、2017年に神経幹細胞の増殖促進活性物質として見つかったもので、ダウン症の改善にもつながる化合物として注目されました。ただし、論文の著者らによれば、ALGERNONという名前は小説とは関係なく、「altered generation of neuron」のアクロニムだそうです。
 この洒落た名前と興味深い活性をもつALGERNON、その化学構造が気になります。最初に京都大学のプレスリリース1)をもとに、ネット上にニュースが流れたときに、いろいろ探したのですがどこにも構造情報が載っていませんでした。化学構造式は一般的には嫌われ者で、ベンゼン環の亀の甲を見るだけで頭が痛くなると言われたりします。なので一般ニュースサイトの記事に、構造式が意図的に省略されているのはわからないでもありませんが、大学のプレスリリースにすらないというのは解せません。
 われわれ化学屋は、どんなすばらしい活性の化合物であろうとも、化学構造がわからなくては納得できない性分です。しようがないので、投稿された論文2)をさがして読んでみたところ、さすがにFig. 1に構造式が掲載されていました(下図左)。それを見ると、驚いたことにALGERNONはベンゾピラゾール環とピリジン環がつながっただけのしごく単純な構造の化合物なのでした。こんなものが活性を示すとはおもしろいですね。そんな構造の意外性も含めてわかりやすいニュースにしてくれたらなあと思うのは高望みなのでしょうか。

 さて、それから3年が経って、つい最近同じ研究グループから、今度はALGERNON2という化合物が出てきました。やはり京大のプレスリリース3)に発表され、前回ほどではないですが一般ニュースサイトにも取り上げられました。こんどの化合物は前回とはちょっと違って、神経炎症の抑制活性を示します。ALGERNONも同じ活性を示しますが、ALGERNON2はより強い活性をもちます。
 ほほう、ではその化学構造はというのが当然気になります。前回同様プレスリリースには構造式のこの字も載っていないので、原著論文4)を見てみました。ところが、こんどは論文の本文には、ALGERNON2と繰り返されるばかりで、いくら探しても構造式も化学名も載っていません。天然物由来で構造が解明されていないというならともかく、化合物ライブラリ探索で見つけているのであれば、構造がわからないなんてことはないはずです。なぜ載せないのでしょう。
 そんなはずはないよなあとしばし考え、はたと思いつきました。Supplementary Materials(論文本文に書ききれない詳細な実験データを収載した補足資料)はどうだろう。と、はたせるかなFig. S1にちゃんと構造式が載っていました(下図右)。う〜ん、活性物質の構造式って本文に載せるほどの重要性はなく、補足資料で十分ということのようです。このへんのセンスは化学屋にはとうてい理解できませんが。

 それはともかく、問題はその構造です。この補足資料のPDFファイルは図の解像度が低く、構造式の一部分がよく見えません。ALGERNONは最初の文献に構造式がくっきり載っているのすが、ALGERNON2の方は構造式中の?のアルファベット1文字がどうにも読めないのです。NかHか、うーんSか...。最初Nかなと思ったのですが、すぐ下のNと比べて字幅が狭いですし、そもそもこの位置は窒素ならばNHとなるはずです。とはいえHはありえないし、Sにしてはちょっと角ばっているような...。
 というわけで、補足資料の隅っことはいえ構造式を載せてくれたのはよいのですが、これでは役に立ちません。それとも解像度を上げてみる方法があるのでしょうか。念のため、SciFinder(化学論文データベース)の構造式検索でいろいろ検索してみましたが、類似構造はまったくヒットしませんでした。元の論文情報はすでに収録されているので、そもそも論文収載の化合物として認識されていないようです(ということはCAS No.もない?)。まさに画竜点睛を欠くと言わざるを得ません。残念ながらこれでは花束はあげられませんね。


1) https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_results/2017/170905_1.html
2) A. Nakano-Kobayashi, T. Awaya, I. Kii, Y. Sumida, Y. Okuno, S. Yoshida, T. Sumida, H. Inoue, T. Hosoya, and M. Hagiwara, Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., 2017, 114, 10268-10273 (doi.org/10.1073/pnas.1704143114).
3) https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_results/2020/201114_1.html
4) A. Nakano-Kobayashi, A. Fukumoto, A. Morizane, D. T. Nguyen, T. M. Le, K. Hashida, T. Hosoya, R. Takahashi, J. Takahashi, O. Hori, and M. Hagiwara, Sci. Adv., 2020, 6, eabc1428 (doi.org/10.1126/sciadv.abc1428).


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