ダイヤモンドの仲間たち −sp3炭素の世界−


<安定な炭素のかたち>
 ダイヤモンドの仲間たちといっても、宝石の話というわけではない。ダイヤモンドは純粋な炭素の結晶であるということは、みなさんご存じと思う。ダイヤモンドが宝石として珍重されるのは、その希少性や美しい輝きのためだけではなく、天然産鉱物の中で最も硬く、なにものにも侵されがたいという高貴な特質のためでもある。では、なぜダイヤモンドはそんなに硬く丈夫なのだろうか。それには炭素の特徴をちょっと思い出してみよう。

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 炭素が他の数多い元素と異なる点は、電気的に中性で安定な共有結合をつくり次々につながり合って大きな分子をつくれるという点にあった。しかも炭素は結合の手を4本もっているため、枝分れして三次元的に広がった分子をつくることができる。ダイヤモンドの構造は炭素が立体的に網の目のようにつながりあった構造なのである。炭素の結合の手はメタンの構造に見られるように、中心からちょうど正四面体の頂点方向にお互いの角度109.5度で四方に延びている。これは炭素の最外殻電子sp3型の混成軌道をとっているためである。この正四面体構造を次々に立体的に積み上げた構造体がダイヤモンドである。すべての炭素は隣接する4個の炭素と共有結合しており、その結合角は109.5度というゆがみのない理想的な形をしているため、非常に安定でこわれにくい。

<ダイヤモンドの種>
 さて、ダイヤモンドはもちろん有機化合物ではない、というかそもそも化合物ではなく、単なる炭素の同素体のひとつである。しかしその構造の基本になっているのは炭素と炭素の結合であるから、これは有機化学的手法でつくることが可能である。では実際に有機化学的にダイヤモンドをつくってみよう。
 まずつくられたのがアダマンタンという分子である。アダマンタンはC10H16の炭化水素で、10個の炭素がちょうどダイヤモンドの構造と同じように配置してかご形の分子を形成している。分子の外側は水素が突き出しているが、その水素を炭素に置き換えて四方八方へつなげていけばダイヤモンドができあがるから、ダイヤモンドの種、あるいは世界最小のダイヤモンドといえるかもしれない。事実、アダマンタンの名はダイヤモンドに相当するギリシャ語adamasから名づけられたものである。

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 アダマンタンの構造をよく見ると、すべての炭素が六員環(六角形)を形成しているのがわかる。炭素が6個環状につながった炭化水素、シクロヘキサンにはいくつかの配座(結合の回転による分子の変化形)があるが、そのうち最も安定なのはいす形とよばれる配座である。アダマンタンが安定なのは分子をつくっているすべての六員環がいす形配座をとっているためなのである。ちなみに、シクロヘキサンの配座で次に安定なのはねじれ舟形で、舟形は不安定な配座である。
 この化合物は実は天然に存在しており、最初に見つかったのは1933年チェコスロバキア(当時)の石油の高沸点成分の中からであった。その後、1941年に最初に化学的に合成されて以来、いくつかの合成例が知られているが、そのルートの1つにC10H16の分子式をもつ別の炭化水素を触媒を用いて異性化させる反応がある。炭化水素には過激な条件におくと分子の骨格がどんどん転位してよりエネルギー的に安定な構造へと次々に変化していく性質がある。C10H16の式で表される異性体はとてもたくさんあるが、外から十分にエネルギーを与えると、次々に構造が変化して最終的には最もエネルギー的に安定な構造へ落ち着く。その落ち着き先がアダマンタンなのである。つまりこの分子式で最も安定な構造ということになる。まさにダイヤモンドの種である。たとえば、ペルヒドロアントラセンのような似ても似つかない分子も酸触媒異性化反応でテトラメチルアダマンタンに変換することができるし、ホルムアルデヒドとアンモニアの反応で容易に生成するヘキサメチレンテトラミンはちょうどアダマンタンの各頂点を窒素で置き換えた形のやはり熱力学的に非常に安定な分子である。

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<アダマンタン単位をつなげていく>
 ダイヤモンドの最小構造単位がアダマンタンであることがわかったら、次にもう少し分子を大きくしてみよう。アダマンタン単位を二つつなげた形が、ジアマンタンC14H20である。この分子は1965年に合成された。合成の最終反応はやはりC14H20分子の異性化反応である。その次がトリアマンタンC18H24で、これも1966年に合成されている。

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 さて、アダマンタンをメタンにたとえると、ジアマンタンはエタン、トリアマンタンはプロパンに相当する。ちょうどダイヤモンド単位を1ユニットずつ増やしていった形になっている。見てお分かりのようにアダマンタンは対称性のいい構造をしているので、どちらの方向に次のユニットを継ぎ足しても同じ分子になる。事実ジアマンタンは1種類しか存在しない。ではトリアマンタンはどうだろう。ジアマンタンにさらに1ユニット増やす方法は図のように横につなぐのと上に重ねるのと2通り存在するように思える。ところがこの両者は同じものなのである。分子モデルで回転させてみると一目瞭然のように、この2者は同じものを別の角度から見ただけに過ぎない。すなわちトリアマンタンも1種類しか存在しない。これはプロパンは1種類しかない(異性体が存在しない)のに対応している。
 では、次のブタンに相当するテトラマンタンはどうだろう。結論から言うとダイヤモンドユニット4単位からなるテトラマンタンには異性体が3種類ある。anti-テトラマンタン、skew-テトラマンタン、イソテトラマンタンである。ここでanti(アンチ)は反対側、skew(スキュー)はねじれ形を意味する。イソは異性体の意味であるが、炭化水素の場合は直鎖に対して枝分れ分子をあらわす。

<ダイヤモンド構造の異性体>
 ブタンには2個の異性体、ブタンとイソブタンがある。それぞれに相当するのがテトラマンタンとイソテトラマンタンということになる。実際、分子モデルでみてみると、トリアマンタンに1ユニット継ぎ足すときにテトラマンタンは長手方向へ、イソテトラマンタンは短軸方向へのびているのがわかる。では、アンチとスキューの違いはなんだろう。実はこれはブタンのアンチ配座ゴーシュ配座に相当するのである。

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 炭素4個が直線につながったブタンは1種類しか存在しないが、C2とC3間の結合を中心として両端のメチル基をくるくる回してやると、その角度によって複数の安定な配座が得られる。これを結合の回転に由来する異性体、配座異性体という。ただし、室温ではこの中央の結合をくるくる回転させるのに必要なエネルギーが十分与えられているので、ここがある角度に固定された分子を取り出すことはできない。ブタンの場合、両端のメチル基の向きが中央の結合に対してちょうど正反対つまり180度離れた状態がもっともエネルギー的に安定なことがわかっている。この配座をアンチ配座という。次に安定なのが、メチル基同士の角度が60度のもので、これをスキュー配座(ブタンの場合特にゴーシュ配座ともいう)という。
 ここまで書けばおわかりのように、アンチテトラマンタンとスキューテトラマンタンの違いは、ちょうどブタンのアンチ配座とスキュー配座に対応しているのである。ブタンの場合は中央の単結合が自由に回転できるため通常は二つの配座は区別できないが、アダマンタン系列ではユニットを回転することができないため、この両者は相互変換できない別個の化合物になっているのである。このアンチテトラマンタンは1976年に合成が報告されている。

<氷とツイスト>
 アダマンタンほど安定な構造ではないが、それに匹敵する対称性のいい分子は他にもある。まずアイサン(iceane)C12H18。語源(ice(氷)+ane(炭化水素をあらわす語尾))からわかるように、氷の構造の分子である。水が氷になると体積が増えるのでビンが割れたりする。実はこれは水の特殊な性質で、通常の化合物は液体が固体になると体積は減るのが普通である。液体は分子同士がゆるく結合して動きやすい状態なのに対し、固体はきちんと固定されて配列した状態だから、サイズがコンパクトになるのがあたりまえである。水の場合は、水素と酸素の間で水素結合をつくり分子同士が強くひきあっている。固体になるとこの水素結合が規則的に配列した中空の状態で固定されるので、かご形の密度の低い状態となるのである。
 アイサンはこの氷の結晶構造を炭化水素で表現したものといえる。一見するとアダマンタンに似ているが、よく見ると縦方向のシクロヘキサン環が舟形配座をとっているのがわかるだろう。そのぶんだけアダマンタンよりも安定性は低下している。氷の結晶では、アイサンの各炭素の位置に酸素が配置し、酸素と酸素の中間に水素が配置した形で三次元的に広がった構造をとっている。ちなみにこの結晶系はウルツ鉱型硫化亜鉛の構造であるため、ウルツィタンとよばれることもある。この化合物は1974年に合成された。

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 ツイスタン(twistane)C10H16はその名のようにねじれている。分子式からわかるようにアダマンタンの異性体であるこの炭化水素は、やはりすべての環が炭素6個のシクロヘキサン環から成っている。アダマンタンとの大きな違いは、すべてのシクロヘキサン環がねじれ舟型配座をとっていることである。ねじれ舟型配座はいす形より安定性が低いため全体の安定性はアダマンタンより劣る。
 このツイスタンのアダマンタンにない特徴はなんといっても鏡像体が存在することである。つまり右ねじれと左ねじれの一対の鏡像異性体があるのである。鏡像異性体はお互いが右手と左手のよう鏡像つまり鏡に写した関係にある異性体で、分子の中の原子の相対的位置関係は等しいので、通常の物理的性質や化学的性質は完全に一致する。ただひとつ分子内にもつねじれの向きだけが逆であり、そのために平面偏光(ある平面内だけに位相をそろえた光)をあてるとその向きを回転させる性質だけが異なる。右ねじれ分子は右、左ねじれ分子は左に平面偏光を回転させる。

<正多面体の世界>
 対称性のよい美しい構造というとやはりプラトンの正多面体(正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体)だろう。この美しい正多面体の各頂点に炭素をおいた炭化水素をつくろうという試みは、種々なされている。このうち正四面体、正六面体、正十二面体は各頂点に辺が3本集まっているため、CnHn型の構造が可能だが、正八面体と正二十面体は残念ながら頂点にそれぞれ4辺、5辺が集まっているため炭化水素にはならない。

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 最小の正多面体である正四面体(tetrahedron)の各頂点に炭素を配したC4H4テトラヘドランは、炭素間の結合角が60度とひずみが大きくて不安定なので、炭化水素そのものは合成されていない。正四面体骨格をもつ分子として、かさ高い三級ブチル基((CH3)3C-)で置換したテトラt-ブチルテトラヘドランが合成されている。いうまでもなく、もっとも単純な有機化合物であるメタンの構造である正四面体は、有機化合物の基本形であり(その名もTetrahedronという有機化学の国際論文雑誌がある)、そのシンプルな構造をもつ炭化水素(メタンは正四面体の中心に炭素、各頂点に水素であるが、テトラヘドランは各頂点にそれぞれ炭素があり、各辺が炭素炭素結合である)は長らく有機化学者の夢の分子であった。
 次の正多面体である正六面体は正方形6個からなるサイコロ型で、その形の炭化水素キュバン(cubeからの命名)C8H8が1964年に合成されている。正六面体になると内角は90度に広がるのでひずみが少なくなりかなり安定になる。しかし、分子全体での潜在エネルギーはかなり大きいので爆発性のニトロ基でたくさん置換したキュバンは爆薬に使える可能性があるそうだ(→おもしろ化合物第20話)。
 正五角形12個からなる正十二面体はドデカヘドランC20H20で、この分子は1982年に合成されている。内角108度の五角形はsp3炭素(内角109.5度)で組みたてるには理想的なひずみのない構造なので、この分子はとても安定である。
 ちなみに、正二十面体の各頂点を切り落とした形(切頭二十面体)はいわゆるサッカーボール型の五角形と六角形の集合であり、化合物ではないが炭素の同素体のひとつフラーレン(C60)がこの骨格である。ただ、フラーレンの構造を構成している炭素はすべてsp2炭素であり、その六角形は平面のベンゼン環になっているので、sp3炭素の世界の範疇からははずれてしまう。では、次にそのsp2炭素の世界をのぞいてみよう。


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