糖はそんなに甘くない −ややこしい立体化学の話−


<アルドース系列の立体異性体>
 不斉炭素鏡像異性の説明のところで出てくるおなじみのグリセルアルデヒドは、不斉炭素をもつもっとも簡単なアルドースアルデヒド基をもつ糖)といっていい。アルデヒド基、ヒドロキシ基ヒドロキシメチル基と水素の4個の異なる置換基が結合した中心炭素が不斉炭素(キラル中心)になり、その絶対配置の表示を、R配置のものをD型と言い慣わしている。このDL表示は、アミノ酸絶対配置表示によく用いられるが、不斉炭素回りの置換基の並び具合(つまり順位則)とは全く無関係なので、注意が必要なのはみなさんご存じと思う。では、どうやってDLを決めるかというと、このグリセルアルデヒドの絶対配置と対応する置換基配置のものを同じ符号であらわす。たとえば、D-グリセルアルデヒドのアルデヒドをカルボキシ基に、ヒドロキシ基をアミノ基にとりかえてできたアミノ酸はD-セリンというぐあいだ。
 それはともかく、グリセルアルデヒドの炭素鎖をひとつずつ伸ばしていくと、テトロース(エリトロースなど)、ペントース(アラビノースなど)、ヘキソース(グルコースなど)になる。当然不斉炭素数も1個ずつ増えていくから、立体異性体数も増加して、テトロースで4個、ペントースで8個、ヘキソースで16個、すなわち不斉炭素数をnとすると、立体異性体数は2n個となる。


 このとき、炭素鎖の延長は、アルデヒド基側に伸ばしていくことになるので、グリセルアルデヒドの不斉炭素に対応する不斉位置は、いずれの糖でもヒドロキシメチル基の隣の炭素となる。グルコースならば5番炭素がそれで、ここの立体配置がD-グリセルアルデヒドのそれと対応していれば D-グルコースとなる。

<糖と糖アルコールの関係>
 さて、普通のアルドースの場合は、このようにアルデヒド基から最も遠い位置の不斉中心がDLを決定する。また、フルクトースのようなケトースの場合も同様に考えて、ケト基から最も遠い位置で決めることができる。ここまでは問題ないのだが、困るのが糖アルコールのケースだ。


 D-キシロースのアルデヒド基を還元してできた糖アルコールがキシリトールだが、さてこのキシリトールはD型だろうかL型だろうか。単純に考えると、還元されたアルデヒド基はDLを決める不斉位置から遠く離れた位置だから、ここがどう変わろうとDLに変化はないように思える。しかし、虚心担懐にキシリトールの構造を眺めてみると、平面的には図で上下は対称だから、DLを決める位置はどちら側の不斉中心なのかわからないではないか。これは困った。
 一方、D-グルコースのアルデヒド基を還元するとD-ソルビトールという糖アルコールになる。グルコースからできた糖アルコールならグルシトールじゃないのか、と思われるかもしれないが、一般にはソルビトールという名称が普通に用いられる(グルシトールといういい方ももちろんあるが)。
 D-ソルビトールという名前は、この化合物が見つかったのがナナカマド(Sorbus属)の実であるところからきている。それはともかく、ソルビトールというからにはその元の糖であるソルボースというのがあるに違いない。で、これが実際にあるのだ。ところがところが、このソルボースはD体ではなくL体なのである。ほら、ややこしくなってきたでしょ(笑)。

<ソルビトールをめぐる複雑怪奇な糖たち>
 ナナカマドに含まれるD-ソルビトールは、D-グルコースを還元してつくることができる。だが、ソルビトールは平面的には上下対称だから、図の下の方にアルデヒドがある前駆体を考えることも可能である。それがL-グロースだ。この場合なんでL体になるかというと、DLを決めるのはアルデヒド基から遠い側だからグルコースのときの決定位置とは反対側になり、構造式を上下ひっくり返してみるとよくわかるように、こちら側はL配置だからである。ちなみにグロースという名称は、グルコースの反対という意味をもっている(glucose→gulose)。


 さて、D-グルコースに対応するケトースはD-フルクトースであり、これを還元してもやはりD-ソルビトールになる。ただし、ケト基を還元してできたアルコールの根元は新たに不斉中心になるから、実際には、D-ソルビトールの他にD-マンニトールもできることになる。D-ソルビトールとD-マンニトールの構造の違いは、2位の立体配置だけである。このD-マンニトールはアルドースであるD-マンノースの還元生成物でもある。つまり、D-グルコースとD-マンノースは2位の立体配置が違うだけの異性体ということになる。
 さて、ではソルボースはどこに登場するのかというと、グルコースの反対向きの糖であるグロースに対応するケトース、すなわちフルクトースのひっくり返し形がソルボースなのである。このソルボースは、グロースに対応した立体配置をもっているから、構造式をひっくりかえして見ると、グロースと同じL体である。D-ソルビトール←L-ソルボースという関係がこうしてできたわけだ。つまり、D-ソルビトールの本体の名前はソルボースに由来し、D体という立体配置名称はD-グルコースに由来するという二者折衷命名がD-ソルビトールということになる。
 ちなみにL-ソルボースを還元してできるもうひとつの糖アルコールはL-イジトールといい、対応するアルドースはL-イドースである。

<キシリトールはDかLか>
 上の方でD-キシロースを還元するとキシリトールになると書いた。正確にはD-キシリトールが正解だろう、と思うかもしれない。でも、これはキシリトールだけで正しいのだ。D体のキシリトールというものは存在しない。さて、なぜだろう。


 D-キシロースを還元してできるキシリトールについて、反対側のアルドースを考えてみる。つまりD-グルコースに対するL-グロースのように還元すると同じ糖アルコールをあたえるもうひとつのアルドースだ。この場合その糖はなんとL-キシロースなのである。すなわち、キシロースという糖はD体、L体どちらを還元しても同じキシリトールをあたえるということである。形式的には、D-キシロースの還元体とL-キシロースの還元体は鏡像関係にあるが、実際には同じもので上下ひっくり返すと重なってしまう。そう、これはメソ体だ。当然光学不活性であり、DLの区別はつけようがない。
 このキシリトールの中心の炭素は、4種の異なる置換基をもつから不斉炭素の1種だが、上と下の置換基は平面構造は全く同じで立体配置(RS表示するとわかる)だけが異なっている。こういう不斉中心を擬似不斉といい、通常のRSではなく小文字のrsで表すことになっている。ちなみに立体配置は優先順位ではR>Sである。普通の不斉中心は鏡に写すとRSが入れ替わるが、擬似不斉中心は鏡に写してもrsが変化しない。これは、rsを決めている置換基内のRSがひっくり返るので、ここの優先順位が逆転するためである。
 このDL-キシロースとキシリトールの関係と同じ関係にあるのがRNAでおなじみのリボースで、この場合もD-リボースとL-リボースから同じDLなしのリビトールができることがおわかりと思う。

<アラビノースの中心炭素の不斉>
 まだまだ糖アルコールのややこしい話は続いて、お次はアラビノースだ。炭素5個のアルドペントースは最初に出てきたように、4対8種の立体異性体がある。このうちDL-キシロースとDL-リボースはすでに説明した。残るのがDL-アラビノースとDL-リキソースということになる。


 D-アラビノースを還元してできる糖アルコールはD-アラビニトール(アラビトールということもある)だ。この糖アルコールはちゃんとDLがあり、L-アラビノースからはL-アラビニトールができる。これまでと同じように、上下ひっくり返してできる前駆体アルドースが存在し、D-アラビニトールからはD-リキソース、L-アラビニトールからはL-リキソースである。この場合はD-グルコースとL-グロースのようにDLがひっくり返ったりしないのでわかりやすい。
 いま、たまたまD-アラビニトールと書いたが、もちろんD-リキソースの還元体はD-リキシトールといってもいい。すなわち、D-アラビニトールとD-リキシトールは同一物質である。やはりキシリトールのときと同様に上下をひっくり返してみると同じ構造であることがわかるだろう。ただし、この場合はメソ体ではなくて光学活性体である。
 ここで、D-アラビニトールとD-リキシトールの構造をよ〜く見てほしい。両者は中心炭素の立体配置(HとOHの配置)だけが違っているように見える。つまりジアステレオマーの関係である。あれれ、さっきは同じ物質といったはずなのに、これはどういうことだろうか。この種明かしは、図のRSの符号が中心炭素にはついていないところにある。そう、この炭素は不斉炭素ではないのである。もちろん擬似不斉炭素でもない。だから、ここの周りの置換基の位置を入れ替えても同じ物質のままなのは当然で、さっきジアステレオマーといったのは錯覚に過ぎない。キシリトールのときの擬似不斉中心との違いは、上下の置換基がRS配置も含めて全く同じである点で、区別しようがないのである。

<環状糖アルコールというのもある>
 糖アルコールというものが、なかなかにややこしいものであることがおわかりいただけただろうか。しかしまだまだ奥は深い。最後に環状糖アルコールについてちょっと触れておこう。
 イノシトールなんてやつがそれで、六員環のシクロヘキサンの炭素に1個ずつヒドロキシ基をつけたシクロヘキサンヘキサオールに相当する糖アルコールだ。さて、立体異性体はいくつあるだろうか。不斉中心は6個あるからといって、26=64個なんて数字にはたぶんならないだろう。分子の対称性がいいから、回転すると同じものになったり、分子内に対称面をもってメソ体になったりするものが多そうなことは予想がつく。答はたったの9種類である。


 このそれぞれの炭素にRSをつけていく、というのもなかなかに楽しい仕事なのだが、そういう禁断領域には良い子は近づかないことにして、もうちょっと簡単な方を攻めてみよう。この8種の構造式のうち光学活性なものが1つだけ混じっているが(だから異性体数は全部で9種になる)、それはどれだろうかというのが問題だ。これは対称になるように鏡を立てていけばわかるので、答はここである。
 ちなみに、これらのイノシトール立体異性体にはみんな名前がついていて、上段が左から右に、cis-、epi-、allo-、myo-(これがミオイノシトール)、下段が、muco-、neo-、chiro-、scyllo-となっている。あ、問題の答がわかっちゃった(笑)。


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