構造をみると、いかにも不安定そうなキノイド構造をしています。事実これらの化合物は非常に不安定で重合しやすく、その単離精製には大変な困難をともないました。まずサンプリングからして大変そうです。カバの汗なんてどうやって集めるのでしょう。上野動物園の2頭のカバ、サツキとジローの体をガーゼで拭いて汗を集め、それを冷凍保存してすばやく大学の研究室へ持ち帰り水で抽出したそうです。さてそれからが尋常ではありません。室温放置、濃縮、有機溶媒添加、pH変化、順相・逆相クロマトなどの操作によってことごとく変質してしまうというのですから、普通に考えるとまさに手も足も出ないというところです。
しかし、なせばなるとは限らないが、なさねば何事もおこらない、というのも事実です。多くの試行錯誤の結果だと思いますが、ゲルろ過とイオン交換クロマトをうまく組み合わせることによって、なんとか2種類の色素を分離精製することに成功しました。赤色色素の高分解能FAB-MSから分子式はC16H8O8とわかりました。1HNMRにはメチレン水素が2個、芳香族水素が1個分の単一線と2個分の一対の二重線(J=11 Hz)しかありません。濃縮も長時間放置もできないのでは13CNMRの測定は無理です。これだけの手がかりでは構造決定は無理ですね。
そこで次に化学変換によって安定な誘導体へ導くことを考えます。還元、メチル化、ついでシリル化を行うと無色の安定な化合物へ誘導することができました。そして幸運なことにこの誘導体を結晶化することができて、X線結晶構造解析によって構造の解明に成功したのです。まさにここまでの労苦に神様が微笑んだとしか思えません。
反応を逆にたどって、元の赤色色素の構造はビスキノン型のジカルボン酸とわかりました。最終的には合成によって構造の確認が行われています。
ジメトキシトルエンの臭素化物をリチオ化して、ジメトキシベンズアルデヒドのニトロ化物と反応させ、得られた二級アルコールをPCC酸化してベンゾフェノン体とします。ニトロ基を還元後ジアゾ化してアリールカップリングさせてジベンゾシクロペンタノンとし、側鎖を臭素化してからシアノ基に置換、このとき同時にケトンがシアノヒドリンになるので、これを還元してビスニトリルにします。酸水解でジカルボン酸にして脱メチルするとビスヒドロキノン体となります。最後はキノンへ酸化すればいいのですが、生成物は非常に不安定なものなので、ここは細心の注意が必要です。カバの汗は粘液につつまれて安定化されていることにヒントを得て、グリセロールを加えて塩化鉄で酸化することによって、見事に目的物を得ることができました。
しかし、ここでまた問題があります。この構造をみると多数の互変異性構造を書けることに気がつきます。いったい正しい構造はどれなんでしょうか。
モデル化合物を合成して検討したところ、対称構造をもつこと、強い分子内水素結合したプロトンのシグナルがみられたこと、酢酸の数百倍強い酸性を示して安定なアニオンとなること、などの事実から、キノンの下側にエノール化した構造が推定されました。
赤色色素とのスペクトルの比較によって、橙色色素が中央のカルボキシ基が脱炭酸した構造であることもわかりました。これらの化合物は、生合成的には芳香族アミノ酸の代謝産物であるホモゲンチシン酸の二量体に相当します。紫外線吸収効果をもち、抗菌性を示すことから、防御物質としての役割があるのではないかと推定されていますが、実際のカバの分泌腺から分泌されたときの無色の前駆体はどのようなものなのかなど、まだまだ不明な点が残されています。
それにしても見事な構造解明、本当におめでとうございます。私もポリフェノール化合物の酸化反応機構の研究をしていますから、このような酸化生成物が不安定でその化学的解明がどれほど大変なことかがよくわかります。ニュースでは日焼け止め効果のことばかりが大々的に騒がれていましたが、活性や効能うんぬんよりも、8年がかりだったというこの困難なお仕事の達成に心より敬意を表したいと思います。
ref. Y. Saikawa, K. Hashimoto, M. Nakata, M. Yoshihara, K. Nagai, M. Ida, and T. Komiya, Nature, 2004, 429, 363.
同, 第45回天然有機化合物討論会, 京都, 2003.10, 要旨集pp.187-192.