この炭素鎖を短くした分子[1.1]パラシクロファンはちゃんと合成されています。こうなるとベンゼン環の六角形は24 °も折れ曲がっています。向かい合ったベンゼン環同士の距離は最短部で約2.4 Åとベンゼン環の積層構造である炭素の同素体グラファイトよりも1 Åも短く、ひずみエネルギーは約100 kcal/molにも達します。いかにも不安定ですぐにもはじけてしまいそうですが、この分子、−20 ℃で数時間は寿命があることがわかっています(室温では分解)。
合成法は以下のようです。
シクロヘキサジエンジカルボン酸エステルから出発して、増炭して側鎖をプロピオン酸としたあと環化してビスシクロペンテノンとします。次に二重結合にアセチレンを光付加してシクロブテン環とした後、ケトンのα位をジアゾ化して縮環反応をすると目的の骨格ができます。エステル側鎖をアミノ基に変換したあとメチル化して脱離するとビスDewarベンゼンとなり、最後に光異性化によって[1.1]パラシクロファンとします。最後の光反応は、ジエチルエーテル:イソペンタン:エタノール(5:5:2)中77 Kで254 nmの紫外線照射で行なっています。
なお、無置換の[1.1]パラシクロファンは不安定な分子ですが、適当な置換基をつけてやると安定性を増すことができます。たとえば、テトラキス(トリメチルシリルメチル)ビス(ジメチルアミノカルボニル)[1.1]パラシクロファン(長い名前だ)は、50 ℃で安定で、100 ℃でも2時間後に8%が分解する程度だそうです。ちなみに、この化合物はX線結晶構造解析をされており、これまでにX線で構造が確認されたうちで最も歪んだベンゼン環分子とのことです。
ref. T.Tsuji, M.Ohkita, T.Konno and S.Nishida J. Am. Chem. Soc., 1997, 119, 8425, H. Kawai, T.Suzuki, M.Ohkita and T.Tsuji, Chem. Eur. J., 2000, 6, 4177.
なお本稿を書くにあたって、北大院理河合英敏氏に文献所在等の情報をご教示いただきました。